もどる 文責:進む原田 (susumu@praxcis.co.jp)
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■■■■■「デジャ」
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■■■■■■■■■■2013年8月12日(月)発行
■■■■■■進む原田
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目次
0・・・・・・まくら
1・・・・・・「調和」を制するものがデザインを制する

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■  ■   まくら
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日本各地で40度!
外に出るとモワーッとして風呂の中にいるようです。

■男子トイレに音姫(トイレの擬音装置)が!

 以前このメルマガで女子大で間違えて入った女子トイレで音姫体験して、
それを女性の友人に話したら「そんなん前からあったわよ」と言われことを書きました。
先週、羽田空港のトイレに入った男子トイレにもついに音姫が!
そこだけかと他に入ったらちゃんと水の流れる電子音が音がします。

 日本も豊かになったものです。
女子並みに神経がデリケートな私にとってもありがたいことです。
日本のトイレは、脱臭装置付き、ウォシュレット付きでそしてなにしろ広くて綺麗。
そういえば「ウォシュレット」も「音姫」もTOTOのブランド名称で、
他社は「ウォシュレット」を「トイレシャワー」と呼んで、「音姫」は何と呼ぶつもりでしょうか?
今のところ「トイレの擬音装置付き」としか言ってないようです。

 解剖が専門の養老孟司先生が江戸時代までは死人が道端で朽ちて行き死臭がしていたので、
人間は死ぬのだ・・・と哲学・宗教的に考えることができたが、最近はトイレの臭いもしなくなり、
生物感がなくなるにつれて人間観もうすれてきたというようなことを書いていました。
ついに音まで消していただけると、快適には違いないのですが、
こういう環境で育つた子供はますます人間感から遠ざかるのではないかと危惧します。

■アップルが、中国の消費者に謝罪した

 というニュースを見て「日本の消費者にも謝って欲しい」と友人が叫びました。
以前このメルマガに書いた、悪いデザインのパソコンを買わされてがっかりしている友人です。
美的センスのある友人に「だったらアップルを買いなさい」と勧めていたのに、
「買いたいけどアップルを売る人が不親切だからいやだ」と、
しかたなくウィンドウズを買ったという事情があります。
「洗濯機や冷蔵庫などの家電と思ってあきらめなさい」と慰めた話です。

 アップルは売り場には昔から自分の首を賭けて戦ってきて今や完全勝利状態です。
ヨドバシでもビックでもアップルの売り場だけは特別に広々としたモノトーンの空間でしつらえてあります。
売り場の印象からいうと、半分がアップル売り場で後の半分にウィンドウズ各社が肩を寄せ合って売られている状態。
売る方が強かった量販店でだれがこんな状態をを予測できたでしょうか?

 そのわりにアップルは売りっぱなしという印象があります。
以前のマイナーな時代は、アップル信者がボランティアでセールスとメンテナンスの役割を果たしていました。
今でも私の周りにはその残党がたくさんいてくれてメールするとすぐに助けにかけつけてくれます。
そのおかげでメンテナンスは端折ってきて、そのままの体質で中国に行ったもんだから、
他にいろいろ事情はあるだろうけど、大掛かりに文句を言われて、そして謝った。
中国人も美しいデザインがほしいんです。

 日本人は中国人ほど文句言わないけど私の友人のように内心怒っていますよ。
広告や売り場デザインには、命をかけているのに、日本型メンテナンスは導入しない。
日本型メンテナンスというのは例えばキャノンのコピー機のように出かけて行ってお世話する、
痒いところに手が届く親切仕組みです。
アップル信者に甘えていたんですね。
あるいはこのままアップル信者を「みなし社員」にしてしまえばいいんです。

 それにしても日本のSONYもNECもFujitsuも情けない。
優秀なデザイナーをいっぱい抱えているのにごちゃごちゃした家電のようなデザインしか出さない。
どこか一社でもいいからアップルのようなデザインポリシーがとおった製品を送りださないものか。
日本人としてはこちらの方に期待したところですが・・・


■韓流ドラマの新しい楽しみ方

 TSUTAYAと韓流ドラマは私の生活を破壊しかねません。
韓流ドラマの「下の身分から成り上がり」と「復讐」という2つのキーワード中毒気味です。
「このままではいけない」という危機感から一計を案じました。
いきなり最終回だけ見る方法で、やってみるとなかなか有効です。
最終回には回想シーンが挟み込んであるのでだいたいどういう人生を歩んだかわかります。

 それに数多く見ることで韓流ドラマにも駄作があることがわかりました。
79巻もある「武人時代」25巻ある「暴君光海君」は最悪。
「チュモン」39巻 時代英雄劇「イサン」39巻も全部見る必要なし。
意味もないシーンがだらだら続いたり、セリフも筋書きも「なんでここでそうなるの」という展開。
スペクタクルなタイトルの割には、室内で貴族がコソコソ陰謀をめぐらす話の連続で、撮影料をけちっている。
きっと韓国では昼メロじゃないでしょうか。
昼メロは、主婦が家事をしながら見れるようにストーリー展開を間延びさせてあります。
「武人時代」の79巻ということはその倍の158話ですから週一では何年もかかります。
だから毎日昼間に放映したのではないでしょうか。

 さすがにNHKが買ってきた「ジャイアント」(出世物語 現代物)
「ヨンゲムソン」(英雄もの 時代劇)は大丈夫です。
「チャングムの誓い」(医者もの 時代劇)「済衆院」(医者もの 現代劇)
「ホ・ジュン」(医者もの 時代劇)の三本は医者の鏡のような話だから、
医者の友人に勧めたらハマってしまい「ホ・ジュン」は二度見たそうです。

・・・しかし韓流ドラマはしばらく離れます。

■プロ将棋とコンピュータ戦い

プロの将棋士がコンピューターに負けたというニュースがありましたが、
ついにこういう時がきたということですね。
初期のソフトは弱くて私も「おめーその程度で俺に勝とうというのか」と、
馬鹿にして相手していましたが、だんだんと手に負えなくなってとっくにあきらめました。
子供の成長と同じで、今やプロと対戦するまでに。もう別人です。

 負けたプロ将棋士の悔し涙を流す顔がネットに流れていましたが、時代の変わり目にぶつかった彼は気の毒です。
メンツはつぶれましたがだんだんとそれは当たり前ということになりそういった勝負はなくなるでしょう。
プロの対戦がなくなりプロ将棋士の仕事がなくなるかというとはないはずです。
例えば、ある時点でクルマの方が人やウマよりも早くなりましたが、競馬も残っているし陸上競技だって盛んです。
今どきクルマと人間の400メートル競争なんてだれも思いつきませんから。

■昆虫を食べよう

 という記事が日経に出ていましたが昆虫が上に乗った握り寿司の写真がよくない。
本気で「昆虫を食べよう」と勧めるのなら無神経すぎるPRで全くの逆効果です。
真っ黒のイナゴの佃煮なら多くの人が食べられますが、昆虫がそのままの姿で乗った寿司を食べられる人は、
「ゲテモノ食い」の範疇に入ると思います。
佃煮のような原型をとどめないまでに料理したものからはじめるべきではないでしょうか。

 ローマに本部がある国連食糧農業機関(FAO)が人口爆発に対応し、
世界の食糧危機を克服するための一手は「虫を食べることだ」と発表したことを受けけての動きです。
今でも20億人が1900種類以上の昆虫を食べているそうです。
「たんぱく質や脂肪、ビタミン、食物繊維などが豊富で、健康的な食用資源」ということは、
理屈ではわかるのですが・・・私が生きているうちにこういう時代はこないで欲しい。

 子供の時から食べていたら、見かけと腹を満たす「おご馳走」とが結びつくので、
未来の子供は、カブトムシやムカデやイモムシを見たら「美味しそう」とよだれが出るということになるのでしょう。
東京で育った子供たちが「なっとう」を美味しそうに食べている姿を見て私も食べれるようになりました。
飼っている兎を見て「美味しそうな兎ですね」と舌なめずりしたフランス人神父にショックを受けた友人がいましたが、
子供のころの味覚体験がそのまま一生続くようです。
「ライオンキング」で群れからはぐれたライオン王子が「動物殺しはよくない」と諭されて、
かわりに昆虫を食べるシーンがあり、見てて気持ち悪かったのですが・・・

■海外派遣

 20年間、理事をしている ICAの理事長のSさんから連絡がありました。
「災害支援でインドに3週間いってくれませんか?出発は7月の中旬です」
「ちっと待ってくださいよ、きょうはもう7月の3日ですよ。
カトリックの修道会でもこういう話はありえませんよ」と返事したら、
「もっともだ」と返事が来ました
しかし、後で考えてみたら災害支援はすぐに行くことが必要です。
それにカトリック修道会からアソコに行けといわれたら一生帰れない覚悟で行くので、
多少の余裕を持たせるのでしょう。
カトリックの修道士が独身を通す理由は「いつでもどこにでもとんで行ける」も理由の一つですが、
SさんをはじめとするICAのスタッフも身軽にどこへでも飛んで行きます。
もし私が、インドやアフリカに行く場合は家族と水杯をかわして友人と送別会を開いて・・・もう大騒ぎ。
そうしておきながら「やっぱり具合が悪いから行けない」と言い出したりしそうです。

 ICAスタッフにはSさんのように生涯をかけた人と、理想に燃えた結婚前の独身男女の2種類がいます。
何千万、何億円の資金援助してくれるのはJICAや各企業や企業連合体です。
その資金は食料やモノに変えられて、それを現地に届けるのが ICAスタッフです。
災害の緊急援助だったら、とりあえずモノを届けて配るだけですが、
アフリカやインド、東南アジアなどへの通常援助は、
そこで農業できるように井戸を掘ったり、技術を移転したり、住民が話し合う方法を教えたりすることで、
結果的にモノ扱いされていた女性の発言力が増して権利があがってゆくという仕組みです。
ICA文化協会の文化は先進国の文化を発展途上国に「押し付ける」のではなく、モノが充足され、
教育程度が上がり、住民が話し合うことで、子供や女性の権利が男性と同じに近づくといったことがねらいです。
女性が従事できる仕事つまり収入の道さえつけば女性もだまっちゃいないわけですから。

 なぜ急にICAの宣伝をはじめたか?これから寄付集めをするからです。
私の知り合いの方はご注意下さい(笑い)
3.11をきっかけに法律が急転して、寄付に対して税金控除がつくようになりました。
つまり個人も企業も寄付が経費扱いされ損金で落ちるんです。
アメリカ企業の寄付は日本の100倍ですが、税金が控除されて株主に対して言い訳が立つというのもあります。
それにアメリカは寄付企業を発表する習慣があり、企業イメージアップを考えると、寄付はけっして損する話ではないのです。
日本企業がアメリカ企業比べてケチだということではなく、これまでは法律がネックになっていたと思われます。

 そのためには日本政府から「ちゃんとした団体だ」というお墨付きをもらわなければなりません、
つまり認定特定非営利活動法人(認定NPO)で、この認定が付くのに大変な調査があり時間がかかりました。
「すでにこれだけ賛同して寄付してくれる人がいる」という証拠を何百人は必要だということで、
2年前手分けして関係者や友人親戚に個人寄付をお願いしました。
そのかいあってこの7月に認定NPOが獲得できたので、これから本格的に募金活動をしてゆく予定です。

 なぜお金が必要かというと、例えばJICAとか企業連合体とかから何千万、何億という援助資金が出ますが、
その中からスタッフの費用が何パーセントと決まっていて、その金額が他国に比べて抑えられているので、
運営費用やスタッフの給料がちゃんと出せない状態です。
理想に燃えてやる気のある優秀な人材がNPOに入ってくるのですが長続きしない。
これから日本もNPO職員が結婚して子供を教育していけるだけの待遇を考えていく必要があるでしょう。
給与待遇面で一般企業に近づけることが、世界の中で日本が大人として認められるポイントになると思います。
日本は世界一お金をたくさん出している国ですから。

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  ■    「調和」を制すものがデザインを制す
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 昔、デザイン高校の先生にデザイン課題を見せに行くと、
「調和がとれていない」と突っ返されたものです。
どこをどう直したらしたら調和が取れるのか具体的に言ってくれなくて途方に暮れました。
先生の批評は絶対ですから、やり直して持っていかなければいけないわけです。
気を取り直して闇雲にやり直して何度も持って行きました。

 それ以来、私は調和と言うことばが嫌いになりました。
調和はハーモニーのことで音楽の世界ではよく使います。
「デッサンが狂っている」とわけがわからないこと言う先生もいましたが、
あれはバランスがおかしいという意味でもあったのでしょうか?
いやデザインの品質が承認レベルに達してないと言いたかったのかもしれません。
 
 当時の先生方は30歳前後でしたから、本当にわかってたのかな?と疑っていますが。(笑い)
要するに全体にバラツキがあり、完成度にムラがあるということで、
秩序つまり様式と品質が一定していないということでしょう。
たしかにこれをデザイン高校生に指摘するのは難しかったかもしれません。

 「調和」の反対は「ぎくしゃくしてガタガタ、てんでばらばらでまとまりがない」でしょう。
音楽でも絵でも機械でも作られたものが一定のルールでバランスよくリズムよく展開されています。
例えば平面構成で同じ形を順序良く並べると調和が取れます。
デザイン発祥のイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動のウィリアム・モリスの図柄は繰り返しの美しさがあります。
しかし現代では、単なる連続模様では、手抜きととられデザイン料はいただけません。
どこか一ヶ所か数ヶ所壊す必要があるのです。
しかし壊すにしても一定のルールで壊します。
不協和音(ハモっていない和音)が連続する現代音楽のようなものです。
しかしよく聞いていると和音を外すためのある公式のようなものがあって、
その外し方が現代人の心の不安定さと調和しているのです。

 昔流行った「下手ウマ」などがそうです。
画面いっぱいに下手な絵で埋め尽くすとそれなりに調和があり良く見えたりします。
下手ウマをまねて本当に下手なのが「ウマ下手」でこれは見られたものではありません。
考えもなしに秩序を壊しすぎると無法地帯になり汚いものになってしまいます。

 デザインの専門教育の最初の段階はとにかく調和のある面作りを教育されます。
自由奔放にさせてもらうのは子供時代まで。
腕や感覚が磨かれる前の自由奔放作品は一見実験的で若々しいけどプロでは通用しないレベルです。
デッサンをしっかり修得して抽象画に移るようにデザインも調和を学んで壊す方がプロとして確実性は高いようです。

 調和の感じ方にも国民性があるようです。
例えばドイツやスイスの国民はきちっと並べないと調和を感じません。
日本を含む東洋はイラストと文字が宙にふわふわかに浮いている掛け軸のように、
きちんと並ばなくてもわりと平気です。
だから日本人から見たらドイツやスイスのデザインは固すぎる傾向があります。
サンフランシスコでつかえていたケラー先生はドイツ語しゃべるスイス人デザイナーで、
全て枠の中でしかデザインさせてもらえず仕事していても肩がこりました。
反対に、日本のデザインは柔らかすぎる傾向があります。
ふわふわしていることで調和があるとも言え、日本の伝統を表す「和風」にはいいのですが、
一般的デザインアイテムは外来洋風文化ですからそれじゃ困るわけです。

 まず最初に調和を心がけること。
調和には形や配置のバランスと品質と様式の均一化があげられます。
そして、一部分あるいは数ヶ所をルールや公式にそって壊すというのが、
調和と破壊の良い按配が、よいデザインを生み出す方法のようです。

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