もどる 文責:進む原田 (susumu@praxcis.co.jp)
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■■■■■■■■■■デザインジャーナル331号
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■■■■■■■■■■2014年1月27日(月)発行
■■■■■■進む原田
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目次
0・・・・・・まくら

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■  ■   まくら
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●馬場先生

 先日大きな封筒で郵便物が届いたので開けたら、
「馬場利貞 遺作集」という文字が目に飛び込んできました。
エッ! 先生は亡くなられていたのか!
馬場先生は私が福岡で20歳から3年間師事したデザインの師匠で、
帰国して何年間かは年賀状を出していたのですが、いつの間にか音信不通になっていました。
先生のお嬢様が会社の住所をネットで調べて送ってくださったものでした。
病気で目を悪くされてデザイナー引退後シルクスクリーンで花の絵を何枚も描かれ、
カレンダーや本の表紙に使われて、それを集めたものが今度の遺作集です。
息子さんが東京で数学関係の出版社「マセマ出版社」をやられていてそこから出されたものでした。

 うれしかったのはシルクスクリーンの完成度です。
形と色と構図に一切の妥協がありません。
色遣いに無駄がなく厳選されているから澄みきっていて清涼感と透明感があります。
「ああ、やっぱり馬場先生だ」と作品を通じて先生と再会しました。

 20歳という多感な時代、馬場先生から一対一の徒弟制度で鍛えられました。
先生の腕とセンスと受賞歴から九州では3本の指にはいるという評判でした。
最初の3ヶ月は兄弟子がいたのですが独立されていなくなったので、
後はずっと先生とサシで仕えたことになります。
もちろん他に次々に弟子入りするのですが、あまりに厳しいのですぐやめていきました。
3年間で60人! 一週間が平均。
私が叱れるのを見て二日目は来ないということはざら。 
だから厳しい先生ということでも有名でした。
辞めていった人達はあちこちでいいことは言いませんからね。(笑い)
先輩の兄弟子は住み込みの内弟子からスタートして10年だから別格で、
通いの外弟子としては私の3年は最長記録だと思います。
馬場デザインを辞めた後、どこか就職しようと飛び込みで会社まわりをしたのですが、
○○印刷の○○課長が「あ、馬場先生のところに3年いたの!」とすぐに信用してくれて、
それ以来ずっとフリーランスで仕事を出してくれました。
最初は不安で不本意でしたが、そのおかげで独立することができました。

 先生にはいつか挨拶に行かなければと思いながら、やはりいつまでたっても怖い存在で、
無沙汰を重ねてますます合わせる顔がなかったのです。
考えてみれば、怖い先生というは当時40歳くらいで、
とうにこちらの方が年齢では追い抜いているし、叱られっこないんですけどね。
あるいは、再会して「怖い存在」を「怖くない存在」に塗り替えるよりも、
そのままで記憶しておいた方が、自分にとって薬になるという計算が働いていたのかもしれません。

 弟子入りした最初の頃、兄弟子の〇〇さんから、
「君はぼんやりしてるから」と言われてとても意外でした。
自分では、17歳から社会でもまれ気が利いてしっかりしていると思っていたのです。
しかしプロの世界から見たら「長男の甚六のぼんやり」が見えたのでしょう。
ということは、先生から毎日叱られた3年間でそうとう変化したに違いありません。
ちょっと線がはみ出ただけで、他所の人の前でもお構いなしに大声で叱られる。
通りに面している大きな窓ガラス越しに外から見えるから、
おむかえのクリーニング屋の奥さんから、使いで外に出るたびに「がんばんなさいよ」と、
気の毒そうになぐさめられて、そちらのほうが恥ずかしくて情けなかったですね。
ミスが重なると「こっちきて座れ」と言われたら30分と長時間になるので覚悟を決めます。
「はいごもっともです、反省しています」と言いながら、頭の中では他のことを考えているわけです。
そうやって叱られながら自分の意地を捨てさせられ、対人ストレス耐性が付き、
人の顔色がうかがえるすばしっこい人間になれました。
休みは日曜日だけで、朝の8時から夜中まで働きずくめだったので(日本中がそうだった)
プロとしての勤勉性と基礎体力はついたでしょう。
目は悪くなりました。
帰りがけにオフィスのドアを開けて昨日見えたネオンが見えなくなったときはショックでした。
その後の職業人生がおおむね順調だったのもこの経験があったからで、
「馬場デザインの3年間が私の社会人としての基礎だ」とこれまで人にも言ってきました。

●大学病院の待合室の雰囲気

この10年間、最近は半年に1度、目の定期検診で慈恵医大に通っています。
10時の予約ですが2〜3時間も待たされ、1時過ぎてしまうこともあります。
どうも先生は途中でこっそりランチに行ってるようです。(笑い)
その間に視力検査や眼圧検査や目の瞳孔を開く目薬をさしてもらったりしますが、
何時間も待合室にいると本当の病人になってしまい「さあ殺せ」と投げやりな気持ちになります。
テニスウェアを着てコートに立つと、少々熱があってもシャキッとなるのと真逆の現象です。
大人数の人がずらっと並んでマイクで名前が呼ばれるまで待っているわけですが、
眼科で目を患った人ばかりですので、本を読んでいる人もほとんどなく、だまって下向いて待っています。
病院待合室にいるとだんだんと気力と体の力が抜けてしまい、
生きるエネルギーが抜き取られていくような感覚です。
私のように健康体でも、2時間もいるとすぐに入院してもいい体調気分になってしまいます。

病院は病人を作るところじゃなくて治すところですから、
重要な待合室の雰囲気について考えなければなりません。
模様を入れたり色を変えたりするだけでも大きいはずです。
アメリカの高級病院のように木目調で落ち着かせてしまう方法もありますが、
日本人には明るい方が好まれるようですので、
例えば壁いっぱいに自然の写真を貼るとか低コストで色々方法はあるはずです。
待合室のテレビのモニターで目の病気と治療の仕方をやっているけど、
あれは見てて怖いのでよくない。
スケートやスキーなどのスポーツの録画のほうがよほどいいでしょう。
なにも環境心理学理論を持ち出さなくても常識の範囲で、
そのくらいのアイデアはでるはずなのですが。

●いよいよ方舟の量産体制に

前々回、津波対策用の方舟の記事を書きましたが、20日の日経一面に、
「 IHIが救命艇量産」という記事が出ていました。
いよいよ本気で量産して主にアジア地域で売り出すそうです。
値段はベンツSクラスと同じ約千万円前後で、25人の命が助かるのだが安いものでしょう。
今後5人乗りの小型艇と、50人乗りの大型艇も発売するそうです。
もちろんGPSはついていきますしオプションでエンジンも付けられます。
25人乗りが一千万円だとすると5人乗りだとおそらく2〜3百万で出来るでしょうから、
一家に一台庭に置いておいて、
普段は書斎とかカラオケルームに使えるようにしておくといいかもしれません。
茅ヶ崎に友人が3人住んでいるので小型艇が発売されたら教えてあげるつもりです。

●十二人の怒れる男

久しぶりに映画「十二人の怒れる男」を見て感動しました。1957年の白黒映画です。
十二人の陪審員が 1人の少年を有罪(死刑)か無罪かをめぐって言い争う映画です。
最初は一人だけが無罪を主張するのですが、話し合って行くうちに1人2人と無罪に傾き、
最後は全員が無罪に決めるストーリーでアメリカの良心を絵に書いたような映画でした。
各メンバーは名前ではなく番号で呼ばれます。
インテリもブルーカラーもいてお互い全く知らない者同士がそれぞれ個性を丸出しにして、
言い争いながら決めて行く、そのシステムが素晴らしいと思います。
下町言葉もあれば移住者の外国なまりもあればインテリ言葉もある。
「移民のあんたにえらそうに言われる筋合いはない」というセリフもあります。
しかし全部が男性というのも時代を反映しています。
ただ部屋1室だけの撮影で出演者は皆どこか映画で見た覚えのある名優ばかりで、
各人の個性の衝突と合意だけで出来上がった素晴らしい映画です。
これだけ生れも育ちも文化も違った人たちが英語を介して1つのことについて言い争い、
1つにまとめてゆく文化というのはアメリカの良いところでしょう
圧巻は1人の老人が、容疑者の若者について「あいつらはもともと悪い奴だ」と偏見に満ちた発言を始めると、
一人、また一人と席を立って壁際に後ろ向きに立ち、2人を除いて全員がそっぽを向きます。
「意見は違っても偏見だけは許さない」という点で全員が一致するという感動的なシーンです。
日本の法曹界は「十二人の怒れる男」を見て陪審制度を思いついたにちがいありません。

●役割性格

メロンを散歩させる途中で、同じ色の帽子をかぶった保育園の幼児10人ぐらい、
連れて散歩させるグループとすれ違います。
一人3人ぐらい担当している付添の女性保母に交じり1人だけ中年男性がいます。
日に焼けた浅黒いごっつい中年顔をしていますが、
外見と違って物腰と声は優しくて、すれちがっただけでその道のプロだとわかります。
このような仕事しているとそのようになるのか、
もともとそういう性格の人だからこの仕事についたのかジョブマッチングがうまくできている。
仕事が人柄を作り、あるいは人柄が仕事を呼ぶ良い例だと思います。

●オンザジョブトレーニングは客にいないところで

近所のドトールで若い男性が新人にいろいろ教えていました。
彼の口癖なのか最初に「ちがうちがう・・こうするんだ」と必ず前にちがうちがうをつけます。
こっちまでが緊張してしまいます。
そうやって出てきたレタスドッグのソーセージが生煮えで、やたらとレタスが多いと、
いつもと違うとなんとなく感じてしまいます。
ドトールに行くのはコーヒーがおいしいからという以上に、
リラックスタイムを過ごしたいからです。
オンザジョブトレーニングは客がいないところでこっそりやってほしいものです。

●グランドゼネレーション略してG.G(ジージー)

23日の日経で、小売大手のイオンはシニア世代を、
グランドゼネレーション世代と呼んで、顧客開拓の集中ターゲットにするそうです。
シニアをおだてて余ったお金を使い切らせようという魂胆です。
例えばペットと過ごすことができるカフェとか、楽器の演奏が体験できるコーナーとか、
従業員を教育してシニアのためのコンシェルジェを用意したりするそうです。
グランドゼネレーションと言えばかっこいいですが、
略してG.G(ジージー)というのが気にくわないですね。
だってどうしてもジジイとしか受けとれませんから。
ペットと過ごすカフェはGG原田としては大歓迎です。
日本もアメリカ並みにもっとペットにやさしい環境になって欲しい。

●大発見の連続

 以下の2点について、この歳なってはじめて知りました

1.風呂からあがってすぐに体を拭いたら体が乾く
2.フウフウさませば熱い飲み物でも飲める

              今まで風呂から上がっても体を拭かずに乾ききらないまま服を着ていました。
体が冷えてもそれは風呂で温めたために汗が吹き出してきたものだと思っていました。
ある日ふと気がついて風呂上りに背中を拭くとすぐに乾くではありませんか。
服を着た後しめることはありませんでした。
 あつい飲み物をフウフウしたら飲めるという発見の喜びも最近です。
これも勘違いでフウフウしてそこだけさましてもすぐまざるので、
全体の温度はたいして変わらないじゃないかと。
しかしフウフウするとそこだけ温度が下がり飲むことができることを発見。
前者は、母子家庭で育ったので体を拭くしつけをする人がいなかった事と、
後者は一人っ子で食べ物競争がなかったのでゆっくり冷めるまで待てたことでしょう。
この発見に感激して友達に話したら笑われてしまいました。
人間は何歳になっても発見の喜びと成長があるものです。
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