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0・・・・・・・まくらのみ ////////////////////////////////////////////////////////////////////////// ■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ まくら ■ ■ ■ ■ ■■ ●先生逝く 私達の心理カウンセリングの指導者のシモチュウが亡くなりました。 下村 忠(すなお)先生は1924年生まれですから86歳没です。 永年、日本産業カウンセリング協会の実技指導と役員をされた功労者です。 ロジャーズ一辺倒でコテコテの、いや一本スジの通ったロジェリアンです。 「受容」「共感」「自己一致」を耳にタコが出来るくらい聞かされました。 先生と呼ばれるのが嫌いで「シモチュウでもなんでもいいからそう呼んでくれ」と言われました。 面と向かってシモチュウと呼べる人はわずかで、私もシモチュウと陰で言っていました。 曲がったことも形も嫌い、清廉潔白な生き方、背筋のピンと立った先生で、その性格で、 逐語記録という訓練方法では、重箱の隅をつつく、細かく厳しい指導を受けるので、 訓練中はだれもが緊張していました。後の飲み会でもシモチュウの周りは静かでした。 シモチュウの経歴がユニークです。陸軍中野学校の卒業生で陸軍少尉です。 この学校だけ卒業時に皇居に呼ばれ、現人神の天皇陛下に遠く拝謁できたそうです。 卒業生はスパイになって外国に潜る人も多いので特別扱いされたのでしょう。 終戦2年前の卒業だったので外国には行かなくてすんだのですが 通信少尉として国内を馬で移動中に、田んぼの真ん中でアメリカ軍機の機銃爆撃に合い、 弾が馬の背中から貫通して、投げ出される経験をされました。 愛馬が身代わりになってくれたと話されていました。 終戦になって、公職追放令で5年間、町工場の職工から工場長までやって、 東芝に10 年努め、その後、敵国だったアメリカのマックスファクター化粧品に定年までいました。 役員定年の後、参与でプラス3年勤務だから、恵まれたサラリーマン人生です。 総務をさていた関係もあり、産業カウンセリングに興味を持たれ、指導者になられたわけです。 家族も現代感覚ではユニークです。男だけ5人兄弟で真ん中の三男です。 5人の名前が面白い。上から「文夫」「武夫」「忠」「誠」「勲」で、文・武・忠・誠・勲となります。 わたしんちの「由夏」「布紀」「惣治」「ゆかふきそうじ」と同じアイデアですね。 兄弟の真ん中で「忠(すなお)」で、当て字ではなくちゃんとした漢文の読み方だそうです。 忠の字は、心の真ん中に、右寄りでも左寄りでもない中庸の中がある、 つまりフロイトの中立性にもつうじ「親は心理カウンセラーにとっても良い名前をくれた」と喜ばれていました。 無欲で威張らない、迎合しない、人を裁かない、真っ正直で、単純な生き方・・・・ こうやって亡きシモチュウのことを書いていてもちっとも悲しくないんですね。 むしろ爽やかな感じです。 欲張りで威張りたい、人に迎合だらけ、全て人が悪いことにして、 うそで固め、曲がりくねった道をひねくれて進む、私の遠く手の届かないモデルだから、 なのかもしれません。 ==================================================================== 購読申込・購読中止は以下で可能です。購読は無料です。 http://www.praxcis.co.jp/deja/ ==================================================================== メールマガジン「週刊デザインジャーナル」(mag2 ID=0000014473) 発行元:プラクシス株式会社 http://www.praxcis.co.jp/ 『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ 発行者:進む原田 susumu@praxcis.co.jp ==================================================================== ・・‥……………………………… (c) 2010,Susumu,Harada ……………………………‥‥・・ 文責:進む原田 (susumu@praxcis.co.jp) |